2013年2月27日水曜日

考えたことの総量


これまでの制作実績をまとめているのですが、
企画意図とまではいかないまでも、
そこにどんな想いを込めたか、どんなことを考えてその形になったのか、
ということを書き添えています。

決して記憶力が良いほうではないのに、

数年前につくったものでもスラスラ書けることに
我ながら驚きます。

隠していたことを忘れていた

へそくりを偶然発見したような気分。
そんな経験ないですが。

つくっている最中にはただただ必死なのですが、

考えたことの総量だけは胸を張っていいと褒められているようで
ちょっとうれしくなりました。



2013年2月25日月曜日

100均は何でもかんでも詰まった自動販売機なのかもしれない。


昨日100均に行ってプラスチック製の書類ケースを買ってきたんだけど、開けてみたらカドが欠けてた。言わば不良品だった。だけど、本来の用途を維持できないほどの破損じゃないし、仮に交換となったとしても店への電話代とガソリン代で100円くらいになりそうだから、特に何もしていない。それに「100円の商品で文句言うなよ」というもう一人の自分の声が聞こえて、実はそれが何もしていない一番の理由だったりする。

こういう思考をたどったことがある人、結構いるんじゃないだろうか。たとえば、これが500円の商品だったら、僕は交換をお願いしていたと思う。もしかしたら100円均ーという業態そのものが、ある種のクレーム抑制装置として機能している部分があるのかもしれない。少なくとも、100均に気持ちのいい対応やきめ細かいサービスは求めないもんなあ。もちろん例外というか、どこの世界にもモンスター某というのはいるんだけど。

100円均一という業態が誕生してどれくらいになるんだろう。極めて個人的な記憶だけをたどれば、僕が大学生の頃まではそんなに頻繁に見かけるお店ではなかったように思う。とすると、ここ10年くらいで一気に増えてきたということか。すごいな。

購買意識にあたえた影響も小さくはない。生活の中でちょっとした不便を感じたら「とりあえず100均で何とかならないかな」という思考が自動的に働くようになってしまった。で、実際お店に行くとかなりの確率で何とかなる。

最近だと嫁さんが「ちょっと高さのある卓上鏡」がほしいと言い出した。こたつに座ってメイクをするのに普通の卓上鏡では若干低いのだ。僕は100均に行った。ちょうどいい高さの鏡はないだろうというのは予測済み。鏡と何かを組み合わせることで作り出せないかと考えていたのだ。

そこで買ってきたのが、箱型の小物入れ。これをスタンドにし、鏡とくっつけることで「ちょっと高さのある卓上鏡」を作った。ちなみに使った接着剤も100均で購入したもの。なかなかの出来で、嫁さんの反応もよかった。

そう考えると、僕にとっての100均とは「何でもかんでも詰まっている自動販売機」なのかもしれない。なにか困ったらひとまずお店に行ってみる。ちょうどいい商品があるかもしれないし、ないかもしれない。なかったらあるもので代用できないか、自分で考えてみる。失敗しても100円だし痛みはない。お店の人に相談するということはなくて、接点といえばせいぜい欲しいものの場所がわからない時に聞くのと、レジでお金を払う時くらいだ。

100均の店員さんに求めていることの少なさにゾッとした。





2013年2月24日日曜日

カンパンマン

寒く吹雪く日は、風が粉雪を巻きあげて駆け抜ける。すると現象として「風のかたちが見える」ということが起こる。冬の厳しさが具現化したかのようなかたち。道路を歩く人たちが、まるで襲われているかのようにも見える。

よく少年マンガで、冷気や雪を操って戦うキャラクターが出てくるでしょ。あんな感じ。

2013年2月21日木曜日

2013年2月19日火曜日

なんだか疲れた日は。

1日は24時間。昨日も今日も明日も明後日も来年も、僕もあなたもアイツもあの娘も、みんな一緒だっていう。そういうけど、時間の密度は同じじゃない。休みの日にダラダラと寝てしまって目が覚めたら夕方。「あー無為に過ごしたなあ」って思ってしまったとしたら、その日は密度が薄かったということかもしれない。おいしいものを食べて、気心知れた人とたくさん話して刺激を受けて、見た映画が期待以上におもしろくて、偶然コンビニに入ったらワンピースの新刊の発売日だったら、その日は密度が濃かったと言えるだろう。

何をもって密度を測るかは、人それぞれ人生いろいろ。だけど、なぜか密度が薄かった日ほど疲労感を感じるから不思議なもの。行動の総量は、濃い日のほうが絶対に多いのに。

赤いヤツ2



赤いヤツ



2013年2月15日金曜日

情報設計は、お弁当箱を思い浮かべる。


たまにはコピーライターの話でも(たまにかよ!)。

コピーライターの仕事と言うと、まず思い浮かべるのが「キャッチコピー」を書くことだと思います。だけど、それはあくまで一部でしかない。コピーライティングの定義はコピーライターの数だけ存在しているのだと思いますが、僕にとっての答えは「伝えることの最適化」です。

ポスターやチラシなどの広告でも、会社案内やパンフレットなどの編集物でも、ホームページなどのWeb媒体でも、伝えたい相手に伝えたい内容を伝えるためにこの世に生を受けるわけです。僕らはそれらを作ることでお金をいただいている。つまり「伝わる」という機能が発揮されるかどうかが、商品価値を決めるということになります。

伝えることを最適化するために、実際にコピーを書く前にやることが色々あるのですが、そのひとつが「情報設計」です。インフォメーションアーキテクトと言ったりもします。

情報設計はひと言であらわすと「お弁当箱」です。

チラシを思い浮かべてください。たとえばA4。この空間を、お弁当箱に見立てます。よく語られる広告作法の基本として「言いたいことをひとつにしぼる」というものがあります。一方で、自分が広告主側になってみると「あれも言いたい、これも言いたい」とたくさんの情報を詰め込みたくなってしまう。気持ちはわかりますが、これはお弁当で言うなら幕の内弁当です。

本当のお弁当なら幕の内弁当もおいしいのですが、それが「情報」となると、なんでもかんでもとにかく摂取したいという人はいません。それよりも「わたしはハンバーグ弁当が食べたい」「おれはからあげがいい」という風にほしいものが決まっています。

この伝えたい相手が「何弁当を欲しているのか」を察知することが、ターゲティングです。

ターゲットはハンバーグ弁当を欲しているのに、幕の内弁当を作っても喜ばれませんし、からあげ弁当でもダメです。ターゲットが食べたいおかず(=ほしい情報)を見極めて、お弁当箱の中身(=チラシの中身)を構成していくこと。これが情報設計です。

いわばコピーライティングやデザインは一つひとつの料理を実際に調理したり、味付けを決めたり、盛りつけをしていくようなもの。その前の行程としてどんなおかずをどれだけの量入れるかを決める「情報設計」が存在しているのです。
 


2013年2月13日水曜日

せいりげんしょう

今日こそは何か書こうと思っていたのですが、しゃっくりが止まらなくてそれどころではありません。24時間このままだったら死ぬそうだ。

2013年2月10日日曜日

牛肉とごぼうと人参の炊き込みごはん




■お米…3合
■牛肉切り落とし…200g
■人参…1本
■ごぼう…1/2本
■しょうゆ…大さじ4
■砂糖…大さじ3
■みりん…大さじ1
■酒…大さじ1
■本だし…適量

【1】牛肉はひと口大、人参とごぼうは乱切りにする。
【2】フライパンにサラダ油を引き【1】を炒める。肉の色が変わったらOK。
【3】研いだお米に調味料をすべて投入。水を3合の目盛りまで入れ【2】をのせる。
【4】あとは普通に炊くだけ。炊きあがったら混ぜて食べる。

お好みですりゴマをのせて。付け合わせには意外とキムチが合う。

2013年2月9日土曜日

新潟食の陣















ブタの乳と他人の目


探偵ナイトスクープを見てた。依頼はかなりぶっ飛んでいて「ブタの乳が飲みたい」。しかも母ブタの乳首から…

直接、です。

高校時代に僕も一度行ったことがあるんだけど、ナイトスクープは公開収録です。スタジオのカメラの後ろ側にはお客さんがいる。人数もかなり多くて、300〜500人は収容できるホールだったと思います。その席が毎回埋まるんだから、さすが長寿番組。

VTRでは依頼者の男性がブタの乳を飲む瞬間が刻一刻と迫ってくる。すると、観覧のお客さんが一気に引いていくのがわかる。テレビを見てる側にまで伝わってくるんです。内容が内容なので依頼文が読まれた時点で、ある程度のお客さんは引いていたんですが、実際の映像はそれを超える爆発力を持っていた。

母ブタの警戒を解くため、依頼者は子ブタに変装する。変装といっても、全身を黒く塗っただけ。ブタ小屋…ではなく、ブタの柵の中に入り、子ブタのように振る舞う。成人男性が半裸でブタと戯れる。それだけでも映像的衝撃度は高い。途中でウンコを踏んだりするあたりなんか、もう変態要素が多すぎて、僕の中の情報処理のキャパを超えた。そうなるともはや感情の種別すらよくわからなくなり、言葉にならない言葉が出てくる。「うわー」。

次第に母ブタも緊張を解き「あれ、こんな大きな子供生んだかしら。まあ、同じ柵の中で過ごしてるんだし、私の子供のよね」と思ったがごとく、乳を上げる姿勢になってくる。具体的には横たわる。これが「さあ、お飲みなさい」の合図らしい。子ブタに扮した依頼者は、徐々に母ブタとの距離を詰め、乳首に吸い付くことに成功。見事、ブタの乳を直接飲んだ。

おそらく10人が見たら10人が「ひどい」という映像だ。100人いても100人ともそういうかもしれない。動物好きな人からは、虐待と判断されかねないくらいのものだったと思う。「引く」ということに対して割と許容範囲の広い僕でも、頭がすこしクラクラするくらいの映像だった。

だけどね、それはわかるけど、ひと晩経った今でもまだあの映像が心の中に居座っているのは、そこに幾ばくかの感動があったからだと思う。

依頼者の男性は、立派な社会人だ。仕事もしていると言っていた。そんな一人前の社会人であれば、自分に対する客観性を多少は持ち合わせているはずだ。それが限りなく少ないとしても、ゼロではないと思う。そして、自分への客観性が少しでもあれば「ブタの乳に吸い付く姿」が他者に対してどんな印象をあたえるかは判断できる。しかもそれは公共の電波に乗って、不特定多数の人々の元へ届くのだ。

リスキーである。

でも彼の情熱は、他者評価への恐れに屈するようなものではなかった。ひとかけらの迷いもなかったことは、ブタの乳を味わった後の恍惚の表情が物語っていた。夢にたどり着いた達成感がそこにはあふれていた。「これを商品にすれば売れると思います」という言葉はきっと心の底から出たものだろうし、その真意は「自分のこの喜びを他者にも分けあたえたい」で間違いないだろう。なんてことだ。慈愛すら生まれているではないか。

彼の言葉をきっかけに、近い将来「豚乳」が市販される日が来るかもしれない。そして、いま僕らが当たり前に口にしているものは、誰かの変態的な情熱によって味や栄養価が証明されたものもあるのかもしれない。

あ、言いたかった結論からかなり逸れた。

この番組を見て「学びたい」と思った部分があったのは本当。「他人の目なんか気にすんな」ってこと。シンプルで聞き慣れたアドバイスを、僕は尊敬すべき変態からもらった。

ちなみに、彼は以前に「牛の乳を直接飲みたい」という依頼をして、それも達成していたそうです。すごい。

チャーハン

盛り付けに茶碗を使うと、洗い物が増えておすすめです。

2013年2月7日木曜日

熱燗日和



ブレる軌跡が、振れ幅と呼ばれる日。


芯のある生き方はかっこいい。目的地へ最短距離でたどり着けるのだろう。目的地が変わってしまうこともなく、狙いを定め一直線でつらぬく力強さ。そんな生き方に憧れていた。現実はなかなかうまく行かない。迷いまくってブレまくる。目的地と定めた場所も次第に本当にそうだったのかわからなくなってきて、気づけば違う地点をめざしたくなっている。そのくり返し。だけど、遠回りをするから見えたものもあるし、何よりそんな人の弱さを理解できたことは大きな収穫だと思う。強がりなんかじゃなく。あっちこっちへフラフラ生きていく姿も、いずれ人間の振れ幅として結実する日が、きっと来る。そう思いたい。

2013年2月3日日曜日

ナマのナゾ

ずっと理解できなかった言葉がある。生写真の「生(以下、ナマと読んでください)」の部分だ。

ナマの写真ってどういうことだ?画像加工されてない写真ということなのか?わざわざ断りを入れる理由があるのだろうか。回転寿司は、本来の目の前で握ってもらうスタイルよりも市民権を得てしまったがゆえに「回らない寿司」という言葉を生み出して革命を起こしてしまったけど、加工済み写真はそんなことはないと思うが。

「生」がつく他の単語を手がかりに考えてみる。思いついた順。

■生ビール
大好きなやつ。考えてみると出端からあんまりよくわからない。お酒を飲めるようになって幾星霜にもわたって「とりあえず生」と口にしてきたくせに申し訳ない。と一旦反省してみてもう少し思考を進める。缶や瓶じゃなくサーバーから供給されるから、おそらくできたての状態に限りなく近いはずだ。鮮度の保証という意味で「生」という言葉を冠しているのだろう思えば、納得できる。

■生ガキ
これも大好きなやつ。カキに限らず動物性の食品を生で食べると、ちょっとイケナイことをしている感じがするのは僕だけだろうか。心のどこかに「当たるかも…」という不安がよぎるのを気づかないフリをして食べる背徳感。スリルすら快楽のスパイスにしてしまうようなカルマ。確率的には何万分の一、何億分の一かもしれないけど、ほんの微量でも命を危険に晒した代償として得る美味がそこにある。ユッケや生レバーも同じ類いの味わいがあった。「生」という言葉には、道徳やモラルに背を向けるような魅惑がある。スリルと快楽というなら、男なら、まあ、もうひとつ別の場面でも、まあ、そういうことだ。これ以上深くは言及しない。

■生放送
これはなんだろう。録画していない放送?とれたて新鮮ですよってことだろうから、生ビールとほぼ同じなのか。生ガキに感じていた、何が起こるかわからないハラハラドキドキという側面もあるっちゃ、ある。

■生ぐさ坊主
生ぐささがプーンとしてくるような坊さん。「お前、生もの食ってんだろ」という雰囲気がいかにもある坊さん。奇遇なことに、これも何かを犯してるのよね。背徳じゃなくてタブーだけど。後ろめたさを携えている部分は似ている。

■生意気
パーツに分けて見ていく。まず「意気」の部分は、「意識と気持ち」ということでいいとしよう。心意気という言葉を思い出しても、それで不都合はなさそうだ。じゃあ「生意気」は生の意識と気持ち…よくわからん。生意気という言葉の意味が、立場や経験値にそぐわない言動だとしたら、その言動が「意識」と「気持ち」に対して無加工過ぎるということだろうか。生意気という言葉は、ほとんどの場合において若者に対して向けられる。若者は、想いばかりが先走った行動に出てしまいがちだ。そんな姿を見た人生の先輩が口にする「生意気」。否定だったりもすれば、期待の裏返しだったりもする。若者の感情や想い(=意気)に対して、正直すぎる(=生)行動へ向けられている。「生」とは時に、純粋であるがゆえの愚直さを表現するようだ。

…段々苦しくなってきた。ここまで見てきてわかったことは、「生」とは「鮮度の保証」であり、「小さな背徳感」であり、「ハラハラドキドキ」であり、「生ぐささ」であり、「純粋さと愚直さ」である。

うん。確かに「生写真」は、それらすべてを持ち合わせているような気がする。
 
 

てへぺろズ