2013年7月31日水曜日

フリーランスの語源とは、
槍を持って戦う
中世ヨーロッパの傭兵だという。

槍は闇雲に振り回すこともできるが、
一点をめがけて貫くことで、
もっとも威力を発揮する武器だ。

その槍で、どこに狙いを定めるのか。

フリーランスは常に問われている。
 

2013年7月30日火曜日

個別指導ネクサス / 折り込みチラシ(コピーライティング)





新潟県三条市の個別指導塾「ネクサス」。
新校舎への移転という華々しいタイミングで放つ
折り込みチラシのコピーワークを担当しました。

伝えたかったのは、ひと夏あれば人は変われるということ。

僕自身も小中学生のころ塾の夏期講習に通っていました。
学校という枠を超えた友だちを得たり、
勉強を経てできることが増えていく面白さを発見したり、
たくさんのことを教わる時間だったように思います。

折り込みチラシの反響は想像以上に大きいもので、
同じタイミングで公開されたホームページから
たくさんの問い合わせが寄せられました。
入塾された生徒さんも、何名もいるそうです。

「広告は効かない」なんて諦めてる場合じゃないんですよね。
きちんと効く広告を、ただただ一生懸命に作ること。
その大事さをあらためて確認した案件でした。


■クライアント:個別指導ネクサス
■媒体:折り込みチラシ
■デザイン・ディレクション:漆原尚(ポルトプラディア
■コピーライティング:横田孝優(ザツダン)
 

2013年7月26日金曜日

トイレ危機(加筆修正版)

トイレのドア締めるの
怖くないですか?
僕はすごく怖い。

住宅のトイレは、
外に開くタイプのドアが多いと思う。
つまり用を足している最中に
ドアの前に何かが倒れてきたら、
開かなくなってしまうということ。

トイレに生き埋め。
これはイヤな死因ランキングでも、
かなり上位に入ると思う。
結婚してからは、
さすがに閉めているけど、
家に一人の時は未だに開けている。

じゃあ、風呂はどうなんだ?という話もあるけど、
まあ風呂は閉めないと
外がビチャビチャになってしまうし、
風呂で生き埋めなら、さほどイヤな死因ではない。

これは、要するに死因として、
イヤかどうかという問題なのであって、
変態だからとかではないのですよ。
 

2013年7月25日木曜日

アタマとカラダ

どちらかというとカラダよりも
アタマのほうにがんばってもらう仕事をしていますが、
「カラダは調子悪いけど、アタマは絶好調」なんていう日はありません。
体調が悪いと、いい考えもなかなか浮かんでこない。

脳も身体の一部なのだから、
当たり前といえば当たり前ですよね。

若いころは、どうしてもがんばりたい仕事に直面にした時、
「アタマを限界まで使おう」と思いながら、
結局、カラダを酷使していたような気がします。
まあ、つまり徹夜です。

疲労でフラフラになると、
なんだかがんばったような気になるんですよね。
だからといって「考える仕事」の質が高いとは限らない。
徹夜すればいい仕事ができる、なんて、
そんな単純な話じゃないです。

一年に何日か、驚くほどアタマが冴えている日が
あったりするのですが、
その時は間違いなくカラダも絶好調です。

よく寝て、よく働き、
おいしいものを食べて、たくさん笑う。

健康第一というのはよく言ったもんだなあ。
しあわせなことに、夏バテ知らずです。

 

2013年7月24日水曜日

「共有」というタフな価値観

先日、ある打ち合わせで、
「所有より共有」という言葉を口にしました。

過剰に持つことは、
実は、さほどうれしいことじゃないのでは?
とみんなが気づき出した。
そんな時代なんだと思います。

だけど、なんというか、
「自分はこれでギリギリ足りる」という量しか
持ってないとしたら、
それはそれで「共有」できないですよね。

原始時代を思い浮かべます。

たまたま一人でマンモスを一頭、
仕留めることができたとする。
自分だけじゃ食べきれないし、
放っておいたら腐ってしまう。
ここでやっと「所有より共有」という概念の
出番がやってくるわけです。

自分が餓死しないための
食料しか得られないとしたら、
やっぱり「共有より所有」となってしまいます。

今が「共有の時代」なのだとしたら、
一人前の食料しか得られない状態では
参加資格を手にしていないのかもしれない。

常にもらう側だけやっていたとしたら、
それは全くもってシェアではないですから。

「共有」や「シェア」という言葉を
よく耳にするようになりましたが、
実はけっこうタフな価値観なんじゃないかと、
ちょっと立ち止まってみたのでありました。
 

2013年7月23日火曜日

自分の中から聞こえる声

自分で仕事と呼んでいるものの中にも、
他人が見ても「仕事だよね」というものから
「それ、遊びじゃね?」というものまで
いくつもあります。

わかりやすいのは、
誰かから「こういうことをやって」と
頼まれたものです。
ゴールも、締め切りの日時も、
どれくらいお金をもらえるのかも、
仕事が始まる時点で見えているので、
取り掛かりやすい仕事、と言えるかもしれません。

だけど、仕事はそれだけじゃありません。
誰かから声をかけてもらうのは同じでも
「どうしたらいいかわからないから相談させて」と
いうものもあります。
こういう話がやってくるときは、
ゴールがまったく見えていない場合と、
ゴールは見えているんだけど、
そこへのたどり着き方が見えていない場合があります。
どんな道があるかを探したり、
道を開拓するところから始まったりする仕事です。
どこから手をつけていいか事前にわかっていないぶん、
取りかかるまでに時間がかかる仕事だったりします。

大体の仕事はこのふたつのどちらかになるのですが、
もうひとつ忘れてならないのが、
「誰にも頼まれてないけど、自分が勝手にやりたい仕事」です。

ゴールや行き方は見えていたりいなかったりするけど、
それ以上に厄介なのが「自分が相手」だということですね。
自分は一番身近ない相手だから、泣きつきやすい。
忙しくなってくると、この仕事を後回しにしてしまいがちです。

自分が勝手にやりたい仕事を
絵に描いた餅で終わらせないための方法も
いろいろありますよね。

誰かを巻き込んでしまう。

頼まれ仕事のほうにやりたいことの
要素を混ぜ込んでいく。

いっそのこと
自分が勝手にやりたい仕事以外やらないと
決めてしまう。

やりたいことなんだから、
やらないなんて選択肢はない。
目を背けるっていう選択肢もありません。
 



2013年7月22日月曜日

転がる石のように

自分が動いたから、
仕事が集まってきた。

仕事が集まってきたから、
自分は動くことができた。


どっちも真実だなあと思います。
 

2013年7月19日金曜日

Not Yesterday(加筆修正版)

人が作るもののほとんどは、
役割をあたえられて生まれてきます。
いや、ほとんどじゃなくて、
すべてと言っていいかもしれない。

たとえば、朝の貴重な時間を
やりくりして作った「おにぎり」。
お昼のために職場や学校に持って行く
この「おにぎり」には、
いくつかの役割があたえられます。

「お腹を満たす」「昼食代を節約する」
「昼食の時間を節約する」
「まとめて炊いたごはんを有効活用する」
…ちょっと考えただけでも、
これだけ色々な役割があるわけです。

ちょっと事務的で無機質な
言い方になってしまうけど、
この役割をきちんと果たすことを
「機能する」と表現することができます。

この「おにぎり」は
お昼ごはんとしてお腹に収まることで、
前述の役割を果たすことになります。
「おにぎり」として機能したということです。

ところが、世の中を見回すと、
機能していないものがたくさんあったりします。

機能しない商品、機能しない店員さん、
機能しないテレビ番組、機能しない広告、
機能しない政治、機能しない言葉…。

この機能しないものを
どうやって機能するものに変えていくか。
これが結構大事なテーマだし、
僕自身、今後取り組んでいきたいことだったりします。
意外と「変える」ではなくて「換える」で
解決できるケースが多かったりして。

機能してないくせに、
機能してる顔のアレコレ達よ、
覚悟しなさいよ!ってなもんです。
 


2013年7月18日木曜日

どんな出会いにも別れが存在するように、
どんな仕事にも必ず存在するもの。
それが「締め切り」だ。

うそ。言いすぎた。
締め切りのない仕事もある。
それならば、むしろ問うてみたい。
締め切りのない仕事に完成はあるのかと?

うーん。あるね。
意志の強い人、自分を律する術を持つ人は、
締め切りなんてなくても仕事を完遂するね。
尊敬します。

一方で、世の中には締め切りがなくちゃ
生きていけない人がいる。
そんな人は大概締め切りに追われて
苦しんだ経験がある。

だけど、それは同時に、
締め切りがあったからこそ、
仕事を完成することができた、とも言える。

コピーライターやライターのような
「ものを書く仕事」には、
これ以上直しようがないという状態はない。

推敲すればするほど、
手直しできる場所は見つかるし、
「この表現とこの表現、どちらがいいのか」と
迷うことなんて、永遠にやってられる。

締め切りなんて存在しなくて
ずっと推敲していていいなら、
これまで、ひとつの原稿も世に送り出すことが
できていなかったかもしれないのだ。

締め切りは仕事において、
欠かすことのできない仲間なのかもしれない。
うん、そうだ。思い切って言ってしまおう。
僕は締め切りを愛している。

【注】
この文章は、締め切りが「ある」ことのみを
礼賛するものであります。
締め切りまでが「短い」と涙が出ちゃう。
だって、男の子だもん。
何卒よろしくお願いします。
 

2013年7月17日水曜日

野菜パッケージワークショップ(講師)


今回はDAIDOCOの山倉さんと熊倉さんにお声がけいただき、
ワークショップにコピーライティングの講師として参加してきました。

DAIDOCOは、新潟の食のシーンを席巻する
ケータリングユニット。
本業のケータリングに留まらず、
地域の農産物を活用したフードコーディネートやレシピ開発、
百貨店での期間限定お弁当の販売から、
今夏はかき氷屋さんの出店まで、
「私たちは何者だ」と自問自答し続けながら、
活動の幅を広げています。

今回は新潟市の「食育マスター」としての活動の一貫。
新潟の地場産野菜「十全なす」をテーマに、
特徴や特色を勉強し、
調理している様子を実際に見て、
試食して味わい、
キャッチコピーを作って、
ラベルをデザインする
という盛りだくさんの内容です。

参加してくれたのは、
小学生とその保護者およそ100名。

当日までは「楽しんでもらえるかなあ」と不安だったのですが、
ふたを開けてみれば、そんな心配は無用の長物でした。

子どもたちは、あっという間にコピーの書き方を
自分のものにして、心くすぐる言葉を生み出していきます。
できあがったコピーとラベルからは、
「おいしさを伝えたい」という素直な感動から、
「目立ってやろう」という貪欲さまで、
力強いメッセージがしっかり込められていました。


▲できあがったコピーはラベルにして、みんなで陳列してみました。



▲さすがシェフ。料理の実演は、お母さんたちも大注目です。


▲新潟日報さんに記事にしていただきました。ついに新聞デビュー。

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「新潟市食育マスター制度」とは、
食育に関する優れた知識、
技術、技能及び経験を有する人材(食育マスター)を
学校、職場、市民団体等に派遣する制度。

新潟市内の学校や幼稚園、PTAなどの団体で
10名以上の参加者を集めれば、
食育マスターの派遣が頼めるそうですよ。

詳しくはこちら


うん、いい制度だ。
 
 

2013年7月16日火曜日

はりきって準備中。

世の中に仕掛けていくことを
生業にしていますと、
「準備中」という状態は、
イコール「まだナイショ」ということになります。

ようやく世の中に出せたと思っても、
実務的には、それは「すでに過去」のことです。
もちろん、世の中に発表してからが始まりなので、
それを追いかけていくことや
時にはより良く手を加えていくことも必要です。
だけど、それにステイし過ぎると、
次の一手が出遅れるんですよね。

感覚的には、これから発表されるものの準備と
すでに世に出ているもののケアは、
「7:3」くらいの感覚です。

さて、次の準備もいろいろと始めています。
例のごとく詳細をお伝えできるのは
もう少し時間がかかりますが、
2つ…いや、3つかな。
秋までに発表できるようにがんばります。

予告編でした。

 

2013年7月12日金曜日

楽しそうな人最強説(加筆修正版)

最近わかってきたことは、
「楽しんでる人は強い」ってこと。
楽しそうというだけで何だか魅力的だし、
結局そういう人のところに
人も仕事も集まるように思います。

逆のこともまた当然のように起こるわけです。
つまらなさそうな人、
不満っぽい人、愚痴っぽい人とは、
距離を置きたくなるのが人情というもの。

前者と後者で何が違うのか。
楽しそうな人はラッキーなことばかり起こっているのか。
つまらなさそうな人は不幸のループに陥っているのか。
それはそうなんだけど、
実はそうじゃないんじゃないでしょうか。

楽しそうな人にだって残念な出来事はあるだろうし、
つまらなさそうな人にだって
幸せのかけらは降ってきているはず。
もっと言えば、現象そのものには
「楽しい」とか「つまらない」とかは決まってなくて、
それを受け取った人が、
どう感じるかを決めているだけだと思うのです。

楽しいことが起こるから
楽しく生きられるのではなくて、
何でも楽しんでいるから
楽しく生きられる。

つまらないことが起こるから
つまらなく生きてしまうではなくて、
何でもつまらなく感じているから
つまらなく生きてしまう。

…と、ここで結論づける気はありません。
こんなこと、あやしい宗教でも言っている。
だけど、人間そんなに器用に生きられるわけがない。
それはよくわかってるので、ここでまた提案です。

「楽しい」と思ったことは積極的に
たくさんの人に振りまく。
「つまらない」「不満」「愚痴」の類いは、
極力自分の中に留めておく。
もしくは、ひとつの「つまらない」につき、
一人にしか伝えない。
これ、そんなに難しくない上に、効果絶大です。

昔見た大阪のローカル番組で
「おばあちゃんに好きな食べ物を尋ねると、
“なんでも食べるよ”と答える」という法則を
検証したものがありました。

結果は本当にその通り。

人生の達人たちは、
どんなものもおいしくいただいてしまうのです。
嗚呼、リスペクト。
 

2013年7月11日木曜日

エンドレス

新聞に名前が出たり、バドガールの写真を見てそわそわしたり、ちょっと社会的な意見を交わしたり、原稿の終わりがまったく見えなかったり、なかなか騒がしい日でした。

…いや、締めくくれない。まだ終わらない。

2013年7月10日水曜日

長台詞

芸術家と商業制作者の違いだとか、
原稿が評価されるのはやっぱり素直にうれしいなとか、
褒め方が上手というのは超高度なスキルだなとか、
自己評価を適切な位置に持っていくのは
シビアなバランス感覚だなとか、
「企画」という字は「企んで画にする」と書くけど、
「画に描いたモチ」で終わってしまうことが落とし穴だよなあとか、
初期衝動が次に段階に進むのを阻むものほど、
大義名分をコレクションしているよなあとか、
嫁さんが芸能ニュースにやたら詳しくて、
これはもはや「新潟の井上公造」と呼んでいいじゃないかとか、
ダチョウ倶楽部は数ある熱い食べ物の中から
なぜおでんを選んだのかとか、
書きたいネタはたくさんあるんだけど、
どれもいまいち文章に落としこむまで考えがまとまらない。

そんなことよりアイスが食べたい。

 

2013年7月9日火曜日

通勤時間に潜む悪魔

「出勤しなくなって、どうなの?」
嫁さんにふと聞かれた。

変な質問だ。
自営になって、とか、独立して、とかなら、わかる。
なぜ「出勤」に絞った質問なのか。

少し時間をおいて理解した。
会社員時代、僕は会社や仕事のグチよりも、
「出勤すること」への恨みをよく口にしていたのだ。

僕はお腹が弱い。
朝はさらにコンディションが不安定となる。

電車通学を始めた高校生の頃から、
何度、学校や会社に行く途中で
トイレに駆け込んだことかわからない。

僕にとって通勤時間とは、
突如襲い掛かる緊急事態と
いつもセットだった。

その不安がなくなっただけでも、

今はだいぶ幸せです。
 

2013年7月8日月曜日

ありのままを捉える能力

コピーライターと一緒に仕事をする人として
多いのはグラフィックデザイナーや、
カメラマンだろうと思う。
業界として隣り合っている人たち、と言えるかもしれない。

隣り合っていない人たちとも
最近では、仕事をする機会が増えてきている。
すると、自分が当たり前のようにやっていることを
「すごいなあ」と感心してもらえたり、
想像以上に感謝してもらえたりすることがある。

何度も繰り返し日常化していることの数々。
言い換えれば価値を埋没させていく作業の歴史とも捉えられる。
ステーキだって、毎日食べてたらいつかご馳走ではなくなる。
繰り返すとはそういうことだけど、
もしかしたら「もったいない」ことなのかもしれない。

自分のできることのひとつを取り出して、
実際以上に大きく見せようとすることは滑稽だ。
だけど、過小評価してしまうことは、それはそれで、
自分にとっても、それを求める(かもしれない)誰かにとっても
多分もったいないことなのだ

物事を、大きすぎることも小さすぎることもなく捉えられて、
同じ物差しで自分も他人も判断することができる。
なんてことのないように思える能力が、
実はたくさんの人をラクにできるのかもしれない、と思ったりした。

結局、他者を上手に巻き込める人は、
人が思いつかない適材適所を見つけ出す天才なんでしょうね。
 

2013年7月5日金曜日

正しい伸ばし方(加筆修正版)

「ほめて伸ばす」と
「叩いて伸ばす」という
言い方があるけど、
この「叩いて伸ばす」っていうのは、
本当にいい方法なのか?と
疑っている今日この頃。

メカニズムを整理していくと
こういうことなんだと思います。

◯「叩いて伸ばす」のメカニズム
叩かれる(=否定される)→悔しい→努力する→伸びる

◯「ほめて伸ばす」のメカニズム
ほめられる→うれしい→またがんばる→伸びる

「叩いて伸ばす」のメカニズムも
まあ、わかる気はするし、
実際それで伸びた人も見たことあります。
伸ばす人としてではなく、伸びた人でもなく、
ただそれを見ていただけの第三者として。

当然のこととして
「悔しい」から「努力する」へのステップで
脱落する人も出てきます。
この人は「叩かれて伸びなかった人」となるわけです。

一方で「ほめて伸ばす」の場合、
「うれしい」から「またがんばる」へのステップで
がんばれない人が出てくる、という意見があったりします。
「うれしい」で満足して止まってしまうと言うのです。
「叩いて伸ばす」を支持する人は、
この点を主張します。

でも、ほんとに「うれしい」で
満足して止まるのか?と思うわけです。
よっぽどの怠け者じゃない限り、
ほめられるとがんばっちゃいますよ。
だって、もっとほめられたいし、
みんな、自分をほめてくれる人は
好きですからね。
その人の期待にもっと応えたいと
考えるのが、素直な反応だと思います。

それに、もっと単純な比較として、
悔しくて力を出せる確率と、
うれしくて力を出せる確率って
どちらが高いんでしょうか?

こんなシンプルな確率論は
頭じゃなくて心で考えれば、
すぐに答えが出ると思うんですけどね。

「人類みな、ほめられて伸びる子」
甘っちょろいと言われるかもしれませんが、
これが僕の中での答えです。
 

2013年7月4日木曜日

髪がボーボーです。

髪が伸びてボーボーだ。

僕は髪が多い方で、
元来伸びるのも速いのだけど、
今回はいつも以上のハイペースで
ボーボーになってしまった。

毛根が急にパワーアップしたわけでは、たぶんない。
切ってくれた人の腕前なんだと思う。

美容師さんの実力の差は、切りたての瞬間よりも、
しばらく経って伸びてきた時にわかるように思う。
1ヶ月経っても楽にセットできると、
「ああ、切ってくれた人がうまかったんだなあ」とありがたくなる。

時を経ることで、能力の差が明らかになる。
いわゆる「その道の職人さん」という存在がいるプロダクトは
そういう性質を持っているものが多いようだ。

「値段は高いけど、一生ものですよ」というもの。
使い込むほどに、その品質を何度も味わうことができるもの。
時間をかけて味わう品質。

人は、お金に余裕がない時には、
今すぐお腹いっぱいになるものをまず買ってしまう。
そういう社会の中では、時間をかけて味わう品質の価値は
やせ細っていく。

経済が低空飛行を続けるということは、
ひとつの価値観を殺すことでもあるんだなと思った。


良い悪いの結論を今ここで出すつもりはない。
 

2013年7月3日水曜日

グレーで勝て

朝ドラのあまちゃんにハマってます。
そのあとにやってるアサイチも
ついでに観てしまいます。
ザツダンの始業時間は9時からなので、
そうこうしているうちにお仕事が始まります。

アサイチのいつかの回で
「専業主婦か、兼業主婦か」というテーマで
議論していました。
「専業主婦はのんきな裕福層だ」と罵る兼業主婦と、
「兼業主婦は仕事も家庭も中途半端」と攻撃する専業主婦。
その対立構造。

どっちの主張も、どこかは共感できてどこかは腹落ちできなくて
後味悪くなっちゃったんですが、
ひとつ確実にわかったことは
「何でもかんでも二極化させるから対立構造が生まれんじゃない?」
ってことでした。

兼業主婦とひと口に言っても、
週数日・1日数時間のパートの人もいれば、
正社員としてフルタイムで働いている人もいます。
そんな人達をすべて「兼業主婦」という言葉で括って語っても、
本質には近づけないですよ。

白か黒か。いやいやグレーがあるだろ。
グレーも、うすーい色からこゆーい色まで無数にあるだろ。

これはもちろん専業主婦・兼業主婦に限りません。
東と西も、北と南も、右と左も、正義と悪も、みな同じ。

一方で、グレーをうまく取り込んだ人は強いですよ。
おネエを見てたらわかります。
マツコ・デラックスのすごさは、
男と女のどちらの立場からも主張できるのに、
どちらに対しても説教できることだと思います。
みんなの味方で、みんなの先生。

さて、コピーライターをめざす学生のみなさん(見てますか?)。
狭き門であり、試練を迎えている業界でもありますが、
なぜか「おネエ」の席はまだ空いています。

コピーライターとして一気にブレークしたいなら
「おネエコピーライター」。これで行きましょう。
売れること間違いない。

しばらくのあいだ誰もやらなかったら
僕がやってしまうかもしれません。


今がチャンスです。
 

2013年7月2日火曜日

妄想遊戯

自転車での移動中、
ザツダン事務所の今後の展開を
いろいろ考えていた。

法人化とか、増員とか、
まだまだ先のことだろうけど、
考えるのは自由だ。それにタダだ。

目標を決めて、
そこから逆算して
今すべきことを考えるのも大事だ。

ところが、思考は脱線し、
いつの間にか
「どんなオリジナルグッズを作りたいか」ばかり考えていた。


ステッカー

Tシャツ

鉛筆

ノート

ボクサーパンツ

自転車

PCケース

包丁

オリーブオイル

TENGA


考えるのは自由だ。それにタダだ。
 

2013年7月1日月曜日

専門性と拡張性

先日、お昼時に連れて行ってもらったお店の
ハヤシライスがとてもおいしかったのです。

でもね、そのお店は本当は「おでん屋さん」だったんですよ。

夜は飲み屋として「おでん」を
看板メニューにしているお店が、
ランチ営業を始めようと思った。
そこで選んだのがハヤシライス。

ハヤシライスは一度に大量に作ることができて、
ごはんにかけるだけでお客さんに出せる。
しかも、カレーライスのようにお店にニオイが
ついてしまうこともないので、
夜の営業への影響もない。

おでん屋さんだから煮込み料理は得意なんですよね。
ハヤシライスは、おでん屋さんのランチメニューとして
持ってこいの料理だというわけです。

なるほどなあ。考えたこともありませんでした。

看板にかかげたメニューは専門性の証。
「この料理のプロです」という宣言です。
だけど、その料理しか作れないってことではないんですよね。

「おでんが得意です」を拡大解釈していくと
「煮込み料理が得意です」にたどり着く。
それは「ハヤシライスも得意かもしれない」に
変換することができます。

専門性が、拡張性を持つ瞬間です。

脇目もふらず、ひとつの道をストイックに
極めていくのも素敵です。

でも、それと同じくらい、
専門性を横に広げていく姿も
おもしろいなあと思うんです。

「能力」ってきっと多面体のように、
違う角度から光を当てると、
これまで知らなかった形を見せてくれるんですよね。

しかも、拡張性を他者が発見してくれることもある。
それはとても劇的なことです。
ぼくは、勝手に拡張性を見つけてくれるお客さんを得た
個人やチームはかならず成功すると思っています。

なぜなら、仕事を依頼する側の人達が、
その個人やチームの「取扱説明書」を充分に理解していて、
しかもそれとは違った遊び方を考えてくれているということだから。

お客さんが「新必殺技」と「それを活かせる仕事」を
勝手に考えてくれるのだから、もう成功したようなものですよね。

「わたしって何屋さんだったっけ?」

こんな疑問が湧いた時は、きっとうまくいっている証拠です。