2013年8月28日水曜日

働きもの

老夫婦が二人でやっている食堂が
テレビで紹介されていました。

何十年にもわたって
地元の人から愛されてきたお店で、
里帰りしてきた人は、
お店がまだやっていることを確認して
ホッとするそうです。

良心的な価格で、大満足ボリューム。
味もきっとおいしいんだと思います。

お店は月に1日休むか休まないかだそうです。
「働きもの」という言葉で表現されていました。

「いやいや、もっと休んでええんちゃう?」
そう思いました。

「働きもの」であることが悪いとは思いません。
そして、それを褒め言葉として使うことを
悪だとも思いません。

でも「もっと休んでええんちゃう?」って思ったんです。
このあたりなあ、もうちょっとちゃんと考えたい。
ちゃんと言葉にしたい。時間をかけて考えてみたいところです。
 

2013年8月26日月曜日

2013年8月22日木曜日

自由の正体

こんな僕だけど、
会社員時代に管理職への昇進を
打診されたことがある。

評価してもらってたんだと思う。
それはうれしかったけど、結局断った。
昇進というものが、
評価に対して僕が欲しいものではなかったからだ。

評価してくれた人もそのことは知っていた。
だけど、その人の立場で持つ裁量の中では、
管理職への推薦という方法でしか
評価を形にする方法がなかったんだと思う。
断るのも心苦しかった。

組織というのは、時々とても厄介だ。
構成する一人ひとりが、
自分の持ち場で必要以上に迷うことがないように、
裁量、つまり自分の責任でできることの範囲が決められる。
だけど、そのことが行動を制約する壁にもなる。
壁に何度もぶつかると、人は無力感を抱く。

自由は厳しくもある。
ルールという不自由があるからこそ、
最大限の“限”の部分が生まれるのも事実だ。
そもそも完璧な自由なんて、
僕の知る範囲では存在していない。
フリーランスと名乗ってみたって、
自分で決められることがちょっぴり多いだけだ。

先日も書いたけど、どっちが優れているなんて話じゃない。
ただ、僕は今のはたらき方が自分に向いていると思う。
このことには、とてもとても感謝する。
 

2013年8月21日水曜日

声にならない叫び(加筆修正版)

「キャズム」という言葉がある。
マーケティング用語のひとつで、
先駆けとなるユーザーと
一般ユーザーとの間に存在する深い溝のこと。
「谷間」と言ってもいいかもしれない。
新しいテクノロジーが市場を獲得していくにあたって、
この谷間を越えられるかどうかが
ひとつの大きなターニングポイントとなってくる。
最近だと、ツイッターやスマホが
キャズムを越えることができたと言える。

「デスバレー」という言葉がある。
読んで字のごとく「死の谷」のこと。
研究開発や経営の用語として用いられ、
新たに開発された技術が、
新製品や事業化にたどり着くまでに
越えなければならない危機を指す。
具体的には、資金や人材の確保で、
これを越えられずにエンディングを迎えてしまう
ベンチャーも少なくない。

「失われた10年」という言葉がある。
これも言わば経済における「谷間」の時期。
日本では、バブル崩壊後の
1990年代前半〜2000年代前半を指している。
僕らの年代で言えば、小学校高学年〜高校時代と重なり、
確かに物心ついた時からずっと不況だった気がする。
その後も未だ大きな回復は達成できてないので、
「失われた20年」とも呼ばれているそうだ。

かくして人類はあまたの「谷間」に直面しながら、
悩み、挑み、戦い、乗り越えて経済を発展させてきた。
新たな扉の前には、
常に「谷間」が存在しているといってもいいのかもしれない。
「ピンチはチャンス」という言葉にも
そんな示唆を感じてしまう。

ところで、これだけ谷間の話をしてきたが、
女性の胸に話題をすり替えていくつもりは毛頭ない。
「小さすぎず、大きすぎず、C〜Dくらいがちょうどいいよね」
なんてこれっぽっちも頭をよぎっていない。
谷間ってネガティブな意味のものばかりだけど、
胸の谷間だけはすごくすごくポジティブな存在で、
世の中の均衡を保つ救世主だなあ、
なんて僅かたりとも考えていない。
考えていないったら、考えていないんだ。

だけど、なんでだろう。
これだけ谷間谷間と連呼しているのに、
ちっともゲシュタルト崩壊しないのは。
頭の中の谷間の映像が、ずっと肌色なのは。
 

2013年8月20日火曜日

プレッシャーに効く呪文

適度なプレッシャーは
力を引き出すきっかけになりますが、
必要以上のプレッシャーを
自分で勝手に生み出して、
そのおばけに食われそうになってしまう時も、
あったりします。
まあ、たまにですが、あったりします。

そんな時のために自分である呪文を編み出しました。

「人間、できることしかできない」です。

プレッシャーの正体は「期待度」です。
期待度に見合う結果を出せるかどうかが不安だから、
プレッシャーが生まれてくるのです。

「人間、できることしかできない」という言葉は
一見ネガティブにも見えるかもしれませんが、
合格の最低ラインと最高ラインを一致させる効果があります。
「できることは、全部やりきれ。それ以上は知らん」ってことですから。
 


2013年8月15日木曜日

過不足なく

一人でやってるからとか、
組織の中で出世したからとか、
「エラい人」ってそんなことじゃなくて、
自分の特性を過不足なく理解している人
なんじゃないかって思いました。

そういう人は、自分の上手な使い方がわかります。
結果が出るだろうし、成功にも届きやすい。
自分を過大評価してしまっても、
過小評価してしまっても、
失敗したり、損をしてしまう。

自分を客観的に見ることって難しいですからねえ。
 

2013年8月14日水曜日

休日ダイヤ

まだ夏休みがとれません。倍返しだ!(※倍休みたいの意)

録画していた「半沢直樹」をやっと2話まで観ました。
横田です。嫁さん若すぎやろ!

僕はともかく世間はお盆休みのはずですが、
まわりを見渡すとはたらいている人が多いことに驚きます。

みんなが休んでいるから、
何の心配もなく休めるということもありますが、
みんなが休んでいる時に休むと、
十分に休みが謳歌できないという見方もあります。
どこに行っても、道が混んでる、行列ができてる、
どうせ疲れちゃう、出かけるのやめよう。
こうなってしまうわけです。

「地域ごとにGWをずらそう」というような
話題が出ていたような気もしますが、
あの話はどこに行ってしまったんでしょうね。
続きを聞いてみたいように思います。

まあ、何はともあれ休みは大事です。
休みがあるからこそ、休みじゃない日が活きるんです。

「休まざるもの、はたらくべからず」。
 


2013年8月9日金曜日

ナントカワライダケ(加筆修正版)

おじさんが若者を見て言う。

「自分が君くらいの歳の時は、
もっと馬鹿だった。
今の若者はよく物を知っているし、
立派な考えを持っている」

褒めているのかと思っていたら、
あっという間に憂いにすり替わる。

「だが、小さくまとまってるなあ。
無謀でも何かにチャレンジする気持ちとか、
ガムシャラに何かに熱中するとか、
そういう熱いものはないのかね?」

うーん、ちょっと違うのではないだろうか。

教育というのは、経験則の集大成だと思う。

たとえば、僕らは食べられるキノコを
いくつか知っているけど、
昔の人はそれを知らなかったわけだ。
シイタケは食べられるけど、
ナントカワライダケは食べちゃダメということがわかったのは、
かつてナントカワライダケを食べた人がいたから。
それを食べて当たってしまったり、
死んでしまった先人がいたからなのだ。

先人たちの失敗や尊き犠牲を積み重ねた先に、
僕らの知識は存在している。

だとすれば、昔の若者より今の若者の方が
賢いというのは当然なのではないだろうか。
昔の若者が失敗した、その同じ轍を踏まないように、
彼らはその経験則を次世代に受け継いできたのだろう。
そして、それは着実に根付いている。
教育は成功しているのだから、そのことに胸を張ればいいと思う。
すぐ憂いちゃうのは悪いクセだ。

だけど、教えられないこともきっとある。
つまずかないように気をつけることは教えられるけど、
転んだ時にどうやって起き上がるかは教えられない。

おじさんたちよ、心配しなくても若者は転びます。
そしていつか、自力で起き上がります。
大丈夫。
 


2013年8月8日木曜日

はたらいて稼いで胸を張りたい。

先日観たDVDで、こんなセリフがあった。

「お金をもらうことは悪いことじゃない。
何もしていないのにお金をもらうのが悪いんだ」。

「個人」と頭につくとはいえ、
僕は「事業主」として4ヶ月を過ごしてきた。ましてや家族もいる。
否が応にも「稼ぐ」ということに意識的にならざるを得ない。

無報酬や持ち出しで何かをやることを否定するわけじゃないけど、
「もらったお金に見合うものを返す」という
覚悟に縛られないという部分は否めないだろう。
責任がない立場では、人はいくらでも饒舌になれる。

「地方にこそコピーライターが必要だ」
といった僕の言葉が正しいかどうかは、
この仕事で生活できるかどうか、
つまり稼げるかどうかで決まるのだと思う。

はたらいて稼いで胸を張りたい。強くそう思った。
 

2013年8月7日水曜日

簡単なようで難しいこと

今日も取材で感じたことのお話しです。
なぜなら怒涛の取材ウィークだったから。
それも昨日で終わったので、
たぶん取材の話が続くのも今日まで。

今回の取材はいつもと少し趣向が違ってました。
僕が一対一でインタビューするのではなくて、
タレントさんと商店街の店主さんの
対談形式をとりました。

僕は隅っこのほうにいて、ときどき質問をはさんで、
会話の流れを少しだけコントロールする程度。
基本的には二人の会話の流れにまかせます。

「お前の仕事はそれだけか?」と言われそうですが、
それだけで済んでしまったのは、
この二人の力量によるものです。

事前に話してもらいたい内容は伝えておいたものの、
万がいち、盛り上がらなかった場合には、
積極的に介入していくことも想定していました。

始まってしまえば、そんな心配まったく必要なかったです。

それで思ったんです。
「求められていることを理解して、
過不足なく応えていくことって、
すごく難しいことだなあ」と。
今回取材させていただいたお二人は、
それをいとも簡単にやってのけていました。

記事のネタだけじゃなく、
こういう学びも拾うことができるから、
好きなんですよねえ、取材。
 

2013年8月5日月曜日

「新潟 コピーライター」で検索!

検索の話題になったので、ひさしぶりに調べてみると
「新潟 コピーライター」で1位(これは以前から)
「新潟 ライター」で2位になっていました。

これといってテクニカルなSEO対策はしていません。
地道にブログ更新してきたがんばりが
Google先生に認めてもらえたということでしょうか。

僕は検索1位にかなりこだわっています。
コピーライターやライターを探している人に
真っ先に発見してもらいたいというのもありますが、
1位になると「本物っぽさ」が強まると思うからです。

「幸せは自転車を漕いで行ける場所にある」という発言があったとして、
検索1位の人が言ってるのと、検索27位の人が言ってるのでは、
なんとなく説得力や納得感が変わってきません?
そんなことないですか?僕だけですか?
(元ネタがわかったひとは、問い合わせフォームからメールください。一杯おごります)

新潟という、あんまりコピーライターが活躍していなかった土地で、
コピーライターの看板を掲げて生きていくからには、
まずはコピーライターという言葉を流通させていかなくてはなりません。
自分の言葉に「本物っぽさ」があるとないとでは、
流通の速度と強度に大きな差が出ると思うのです。

これが本当なのかどうかは、
今後のザツダン事務所の展開によって
証明していかなければならんと思っちょります。
人生は、大いなる実験なのですから。
 


2013年8月2日金曜日

取材、果てしなき道。

2日連続の取材が終わり、
今日はとてもヘトヘトです。

ライター業をやり始めて10年になりますが、
取材というのは何度やっても、
おもしろくて手強くて、奥が深いなあと思うばかりです。

なにしろ、取材相手は初対面という場合がほとんど。
どんな人なのかまだよく知らない相手から、
大事な情報や本音を聞き出さなくてはいけないわけです。

人間同士のやりとりだから、
完璧な聞き出し方というものも存在しない。
同じ答えを話してもらうにしても、
「もっといい質問の仕方があったんじゃないか」と
取材後には、かならず自問自答しています。

というか、せざるを得ない。
そうなんです。
取材って、終了後に満足感よりも
反省が先にやってくるんです。

しかも取材は、作業工程の中では途中経過でしかありません。
文字の通り「材料を取ってきた」だけ。
そのあとには、材料を使って原稿を書いていく行程が待ち受けています。
ひとまず原稿ができあがるまでは、
なんだか気持ちがソワソワしていて、解放されることはないんです。

だけど、そうは言っても、やっぱり取材は好きなんですよ。
これだけ、職業・年齢・性別・立場を超えて、
多くの人たちと話す機会をもらえる仕事って

なかなかないですもんね。
 

2013年8月1日木曜日